2017/10/19 01:29 午前

Bakerstreet / by Casasola-Merkle

  • 2007/02/18 01:23 午前
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[2人用。全く同じカード構成のデッキ(カードには0から5の数値が書いてある)を一組ずつ受け持ち、自分のデッキからそれぞれ三枚ずつ手札にとってゲームスタート。手番には手札から一枚カードを出して、5つある場のいずれかに置く(それぞれの場は、最後に置いたカードだけ表に見える形にしておく)。その後手札を補充してから、自分と相手の手札六枚の合計値がいくつ以上であるかを宣言する。この宣言は直前手番の相手の宣言より大きいものでなければならない。そのうちダウトがかかって結果発表。勝者は五つある場からひとつ選択して、その場札を全部(じゃないこともあるが省略)オープン。その場に出したカードの数値がより大きいほうのプレイヤーが、得点札を獲得する。一定の得点札を先に集めたほうが勝ち。] 伝統物ではないデザイナーズゲームを遊ぶ時に特有の観点として、面白いつまらないとは別に、デザイナーがそのゲームにおいて何を意図したのかということに目を惹かれる場合があります。カサソラ=メルクルはこの意味でとりわけ興味深い作家で、というのもこの人の提出してくるゲームはその殆どが強い問題意識によって支えられている、言い換えれば、そのゲームにおいて何を試そうとしたのかがたいへん明確に出ているからなのですが、中でもこの「ベーカーストリート」はこの面が顕著に現れています。

このゲームによって行われているのは、記憶の混濁のリソース化です。注意しなければいけないのは、いわゆる「記憶ゲーム」とはまったく異なるということでして、結局のところ記憶ゲームというのは「おぼえているひとの勝ち」という単純な体力勝負以上のものではない。記憶という要素にはそれ以上の使い道があるんじゃなのか、と。これがつまりは問題意識ということになるのですが、それでは具体的には何が図られているのか。

ルールを見渡すとはっきり判るのは、このゲームでは「あらゆることが」記憶/カウンティングすべき対象として作られていることです。普通に記憶ゲームとして捉えるには、あまりにも対象の量が多すぎる。結果としてプレイヤーがどのように行動するかといえば、記憶する対象を絞ることになります。ここで「絞る」と書きましたが、この「絞る」は、「プレーされたすべてのカードを覚えておくのは辛いからとりあえず絵札だけカウントしてれば充分」という量的な妥協ではなく、数種類存在するそれぞれ性質・役割の異なる記憶対象のなかで、どれを重視して記憶し、どれについては諦めるか、つまり取捨選択=意思決定を行うことになるのです。

そのうえで、これはゲームにカウンティング要素を盛り込むことは既にそういうことであるとも言えるのですが、記憶と計算のどちらをどれだけ重視するか(この物言いは、脳内に一定の共有リソースが存在してこれを「記憶」と「計算」のそれぞれの行為が奪い合うようにできている、というようなモデルを想定したもので、このモデルがどれだけ正しいものかとなると甚だ心もとないんですけど、でもまあ心理的にはそれなりに納得できるものではないかとおもいます)、これも意思決定として当然のように考慮しなければいけません。これだけの記憶を要求しておきながら、あくまでゲームの中心に位置するのはブラフゲームという性格の悪さ。

ただ実際に遊んでみると、少しブラフゲームとしての性格が強すぎるんじゃないかという印象はあります。ブラフゲームというのは頭よりも度胸を試すものですから、記憶が完全に混乱してどうしようもなくなったとしても、無理をひとつ押し通そうと思えばなんとかなることも結構あります。これは見ようによっては救いとも取れるのですが、これだけ野心的な試みを行っているのですから、できれば最後まで冷酷なデザインであってほしかったなー、という気はします。

Bakerstreet
by Marcel-Andre Casasola-Merkle
(Ravensburger, 2003)
BBB+

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